2011年8月14日日曜日

東医体

医学科4年の大野です。8月12日(金)、13日(土)に世田谷馬事公苑にて第54回東日本医科学生総合体育大会(以下、東医体)が行われました。この東医体は自分が主将として臨める最後に試合であり、主将となってから結果を出せずにいた自分にとっては何としてでも勝ちたい試合でありました。



一日目は、午前に馬場の団体戦、午後に障碍の個人戦が行われました。馬場の団体戦には大野(医4)、丸本(医4)が出場しました。両者ともに同馬匹内で2位となり、慶應義塾大学と接戦ではありましたが、団体2位を勝ち取ることが出来ました。



この日の午後に行われた障碍の個人戦には大野(医4)、雨宮(医4)が出場しました。自分は同馬匹内での出番が一番手であった為、満点での走行ではあったものの攻める姿勢が足りず、自分より後に騎乗した選手にタイム差で敗れ、予選敗退となりました。一方、雨宮は自分とは対照的でどの選手も失権するような難馬に騎乗し、落馬もありましたが見事に勝ち上がりました。決勝リーグにおいても、他校の自分より経験のある選手に負けない気迫のある騎乗をし、4位につけました。


一日目が終了した時点で全体で3位であり、十分に優勝を狙える位置にいました。一日目の夜にはレセプションが行われ、一年生の出し物のおかげで慈恵馬術部はどの大学にも負けないくらい盛り上がっており、この雰囲気で明日の試合に臨めば必ず優勝出来ると感じました。


試合二日目、この日は午前に障碍の団体戦が行われました。障碍の団体戦の結果が優勝を左右するという状況で、慈恵からは泉(医5)、大野(医4)、雨宮(医4)が出場し、初戦の相手は暫定1位の昭和大学でした。泉先輩は相手にタイムで数秒上回り、雨宮は6年生相手にタイムで負けており、トータルでは慈恵が若干不利である中、両大学は最後の選手を迎えました。先に走行した昭和大学の選手は、ひとつの落下と、タイム減点があったものの、1年生ながら見事な走行を見せました。そして、自分が慈恵最後の選手として騎乗し、試合に臨みました。しかし、結果は、無残にも2番障碍後に落馬により失権となりました。慈恵馬術部の優勝が消えた瞬間でありました。その後、昭和大学は障碍の団体で2位となり、総合成績で昭和大学が優勝、慶應義塾大学が2位、信州大学が3位となりました。


東医体での優勝は、1年生の時に優勝してから自分の悲願でありました。にも関わらず、主将である自分自らの手でその優勝を逃してしまったことが、悔んでも悔やみきれずにいます。この思いはきっと東医体の優勝でしか晴らせないと思います。結果は結果として真摯に受け止め、これからも練習に励みたいと思います。


この一年間、主将を務めさせて頂くにあたり、ご支援して下さったOBOGの皆様、ご指導して頂いた今村教官、スカイパークの佐藤さん、啓君、引退されたにも関わらず部を支え続けて下さった5,6年生の先輩方、一緒に幹部をしてくれた3,4年生、日頃から仕事を積極的にやってくれた1,2年生、そして何よりも、僕らを乗せて必死に走ってくれた馬たちに心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。

大野浩次郎

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